昨年5月5日に、ミニサーキットで転倒いたしまして、その時のお話を。
コロナ禍最中にサーキットへ
もともと、栃木のツインリンクもてぎのスポーツ走行に、と考えていましたが、コロナ渦により、スポーツ走行民への開放がなくなり、営業しているトミンモーターランドへ。
当然、非常事態宣言出されている状況なので、トミンモーターランドは、感染症予防対策を万全にした上での運営でした。
BMW S1000Rで、自走してうかがうことといたしましたが、Honda Gromで、行けばよかった。今でもそう思います。
以前、このGromで、このトミンを走ったことがありましたが、腕の無さや、出力の無さもあり、参加者の中では一番遅かったように感じます。
で、碌な準備もせず、高出力のリッターマシンを投入したわけです。
しかし、その頃は、トランポも、タイヤウォーマーも持っておらず、S1000Rを走らせるには、無謀でした。
舐めてかかっていた、といわれても仕方がない形でした。
そこそこ調子が上がっている感覚もありましたし、バンク角も通常よりも深く、バンクセンサーを削っても、走っている自分としては、怖い感覚がなかった。
コントロールした状態で、コーナーをクリアしていた、と感じていたかも。
*バンクセンサーを外していないあたり、準備がたりませんでしたね。
コーナリングに不安がなくなる(自己比)と、ストレートが生きてくるというか、出力負けしないエンジンなので、思い切って回せる(自己比)わけです。
ただ、ブレーキングの性能は変わらず、乗り手の能力は変わっていないことに気づくのはこの後です。
午前中の予約を取っていましたが、3回目に走った時、前が大きく開いていることがありまして。
ホームストレートで加速したら、休憩所のベンチに座っていました。
いや、転倒した時の話だろ、と。
友人と二人で、走りに行っていたのですが、周りにいたほとんどの方々が、初対面のはずなのに、なぜか私に、優しく話しかけてくているんですね。
ふっと気が付くと、話していたという感覚です。
しかし、「あれ、俺話ししてるんだ。」
「ホームストレートで加速したのは、気持ちよかったな」
「パドックに戻って来て、そのあと、停めて、グローブ外して、メット外して、という下りがなかったけど…」
「そもそも、なんで俺、メットかぶったまま休憩所ですわってんねん。」と。
意識が”追いついてきました”。
「そっか、俺転倒したんだ」
どうも、周りの様子を見ていると、転倒したらしい、S1000Rもフロント壊れて、ハンドル曲がってるし、メットも傷ついている、俺の体は、と来て、ようやく痛みを感じるようになった。
意識が戻ってから、痛みを感じるまで、約30秒ほど。
転倒の詳細
どうやら、ホームストレートでの減速が足りず、第一コーナーで、転倒、コースアウト。
右肩をイグニッションスイッチあたりに強打。
迎えに来てもらったコースの車に自分で乗って、パドックのベンチに座ったようです。
S1000Rは、コースの人が運んでくれたらしい。
転倒からというよりも、転倒からさかのぼって記憶が飛んでおり、ホームストレートの途中から、パドックのベンチに至るまで約10分ほどの空白時間が生まれたらしい。
その間に、変なことはしゃべっていなかったので、セーフだったのかな。
意識を失っていたら、救急車呼んでいたとのこと。
もしかして、今ブログを書いているのは、別の自分で、転倒した時の自分は、まだ目覚めていないのかもしてない。
通院と治療
なんとか、自走して、ディーラーまでたどりつき、S1000Rとレザースーツ、プロテクター、ヘルメットを預けて、電車で帰りました。
疲れてそのまま夕方ぐらいから寝てしまいましたが、翌朝、右半身は肉離れで、動かせず、それでも右肩が痛くて、動かせなかったので、左手のみで、車を運転して、病院へ。
ATで良かった、とこの時初めて思いました。
コロナ渦の病院は、人がほとんどいませんでしたが、たどりつくと歩くこともできず、車いすとストレッチャーで(初体験)、何か所かめぐって、右鎖骨、肋骨三本が折れており、右肺の上部も損傷しているとわかりました。
右肩を動かして、再び単車に乗ることができたのは、7月のことでした。
参加する予定だったロードレースには、参加できずに終わりました。
コロナの最中に、あんた何してんの!と誰からも怒られた1年でした。
今年になってようやく、トランポとタイヤウォーマーを手に入れて、サーキットを走るときは、このセットを欠かさないようにしていますが、タイムは上がっていません。
体も、車体も治って、気をつける気持ちがついたので、懲りずに練習に出かけていますけれども。
お問い合わせや、リクエストなどがございましたら、お気軽にどうぞ。
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